行(い)きたい
観(み)たい
最後(さいご)の チャンスかもしれない
さかのぼること 2月4日(にがつよっか)…
朝(あさ)の ラジオで 仲代達矢(なかだい たつや)さんが お話(はなし)していた。
そのなかで、聞き逃(きき のが)さなかったのである。
『京都(きょうと)も 行(い)きます』
その日(ひ)から、公演予定(こうえんよてい)が 出(で)るのを 待(ま)っていた。
ところが、情報(じょうほう)を 探(さぐ)っていくと、チケットの 一般販売(いっぱんはんばい)は ないようなのであった。
この公演(こうえん)を 観(み)るには 単純(たんじゅん)に チケットを 買(か)えばいいというわけではなかった。
入会金(にゅうかいきん)および 月会費(げっかいひ)を 支払(しはら)うことで、鑑賞(かんしょう)の 権利(けんり)が 得(え)られるのである。
それを 知(し)ったのは 先月13日(せんげつ じゅうさんにち)だった。
もう少(すこ)し 早(はや)く 情報(じょうほう)が 得(え)られたら、前(まえ)もって 入会(にゅうかい)していたのだが…







一日考(いちにち かんが)えて、主催者(しゅさいしゃ)に メールした。
断(ことわ)られてもいいと 思(おも)っていた。
イイカゲンなやつだと 思(おも)われてもよかった。
とにかく、これが 最後(さいご)の チャンスかもしれないと 思(おも)った。
数日(すうじつ)して 返事(へんじ)があった。
どうにか 鑑賞(かんしょう)することは できそうであった。
申し訳(もうし わけ)ない 気持(きも)ちに さいなまれた。
恥(はじ)を 忍(しの)んで、主催者事務所(しゅさいしゃ じむしょ)に 出(で)かけることにした。
先月25日(せんげつ にじゅうごにち)、所定(しょてい)の 費用(ひよう)を 持参(じさん)した。
会員(かいいん)について 説明(せつめい)を 受(う)けた。
やはり、継続(けいぞく)することを 前提(ぜんてい)としているとのことだった。
心(こころ)が 絞(しぼ)られた 濡れ雑巾(ぬれ ぞうきん)のように 痛(いた)かった。
しかしながら、チケットは 手に入(てに はい)った。
5月13日(ごがつ じゅうさんにち)
京都府立文化芸術会館(きょうとふりつ ぶんかげいじゅつ かいかん)
開演30分前(かいえん さんじゅっぷん まえ)から 入場(にゅうじょう)できる。
にわか会員(かいいん)だし、いい席(せき)で 見(み)ようなんて 欲(よく)はなかった。
ただ、舞台(ぶたい)の 仲代達矢(なかだい たつや)さんが 見(み)られるなら それでよかった。
ホールの 入り口(いり ぐち)には 行列(ぎょうれつ)が できていた。
列(れつ)が 短(みじか)くなるまで、待(ま)つことにした。
やっと、生(なま)の 公演(こうえん)が 観(み)られる…
それだけで 胸(むね)が いっぱいだった。
入場(にゅうじょう)すると チケットを 座席券(ざせきけん)に 交換(こうかん)した。
各回(かくかい)ごとに エリアが 指定(してい)されている。
そのため、かなり 後(あと)から 入場(にゅうじょう)したのに、 舞台(ぶたい)に 比較近(ひかくてき ちか)い 席(せき)だった。
ロビーには これまでの 公演(こうえん)の パネル展示(てんじ)があった。
若(わか)いときの 写真(しゃしん)もあった。
今(いま)まで ずっと、映画(えいが)で 追(お)いかけてきた 顔(かお)だった。
その写真(しゃしん)を 見(み)るだけで、何歳(なんさい)ごろの 作品(さくひん)か わかった。
若(わか)かりし 仲代達矢(なかだい たつや)さんも、円熟(えんじゅく)した 仲代達矢(なかだい たつや)さんも、大好(だいす)きだ



第一幕(だい いち まく)















内容(ないよう)は 省略(しょうりゃく)する。
幕間(まくあい)の 20分間(にじゅっぷんかん)も 席(せき)を 離(はな)れずに、さっきまで 舞台(ぶたい)にいた 仲代達矢(なかだい たつや)さんを 脳裏(のうり)に 浮(う)かべていた。
ストーリーを 反復(はんぷく)し、第二幕(だい に まく)を 待(ま)った。
第二幕(だい に まく)















内容(ないよう)は 省略(しょうりゃく)する。
衣装(いしょう)と メイクを 変(か)えての 第二幕(だい に まく)だった。
舞台上(ぶたいじょう)の 人(ひと)は 仲代達矢(なかだい たつや)さんなのか、ジョン・バリモアなのか わからなくなった。
日本語(にほんご)を 話(なは)している ジョン・バリモアにしか 見(み)えなかった。
何回(なんかい)も カーテンコールに 応(こた)えてくれた。
ただ、観客(かんきゃく)の 手拍子(てびょうし)には 馴染(なじ)めなかった。
リズム感(かん)が ないのではなく、会場(かいじょう)いっぱいに 響(ひび)く 手拍子(てびょうし)は、どこに タイミングを 合(あ)わせたらいいのか わからなくなるのである。
微妙(びみょう)に ズレる タイミングが 気(き)になって しまうのである。
だから、音(おと)が 聞(き)こえない 程度(ていど)に、細(こま)かく 拍手(はくしゅ)を 贈(おく)った。
会場(かいじょう)が 明(あか)るくなり、終演(しゅうえん)が 告(つ)げられた。
そのとき 気(き)づいた。
もしかしたら、よしえ虫(むし)は 最年少(さいねんしょう)なのではないか

この 会場(かいじょう)で 最年長(さいねんちょう)は 仲代達矢(なかだい たつや)さん 90歳(きゅうじゅっ さい)だろう。
それより年下(としした)で、よしえ虫(むし)より 年上(としうえ)の 皆(みな)さんが 舞台(ぶたい)を 楽(たの)しんでいる。
それは それで 素晴(すば)らしいことだと 思(おも)う。
しかし、この 主催者(しゅさいしゃ)の 活動意図(かつどういと)からしたら、後継者(こうけいしゃ)の 問題(もんだい)を 案(あん)じなければ ならないだろう。
つまり、月々(つきづき)の 会費(かいひ)を 納(おさ)めて 舞台公演(ぶたいこうえん)を 観賞(かんしょう)しようという 人(ひと)が 高齢化(こうれいか)している。
また、よしえ虫(むし)も 含(ふく)めて、舞台公演(ぶたいこうえん)を 観賞(かんしょう)する 人(ひと)も 少(すく)なくなった。
公演内容(こうえん ないよう)による かもしれないが、若年層(じゃくねんそう)には 舞台芸術(ぶたいげいじゅつ)が 身近(みじか)ではないのだろうか。
特(とく)に 今回(こんかい)の 演目(えんもく)は、第二次世界大戦中(だい に じ せかい たいせん ちゅう)の ニュー・ヨーク、ブロード・ウェイの 話(はなし)。
劇中劇(げきちゅうげき)は シェイクスピア。
歴史(れきし)か 英語(えいご)の 授業(じゅぎょう)くらいで、かかわるだけだろう。
古典文学(こてん ぶんがく)に 触(ふ)れる 機会(きかい)もなくなった。
日本(にほん)の 古典芸能(こてんげいのう)で、若手演者不足(わかて えんじゃ ぶそく)が 言(い)われて 久(ひさ)しい。
以前(いぜん)、新劇(しんげき)と 呼(よ)ばれていた 舞台芸術(ぶたいげいじゅつ)が、もう 古典(こてん)になっている。
寂寥(せきりょう)を 覚(おぼ)えた。
さて、ロビーに 出(で)て 携帯(けいたい)の 電源(でんげん)を 入(い)れた。
CKさんから メッセージが 来(き)ていた。
CK「入り口(いりぐち)にいます



CKさんは 京都旅行中(きょうと りょこう ちゅう)である。
実際(じっさい)に 会(あ)うのは 初(はじ)めてであった。


ドア付近(ふきん)が 大渋滞(だいじゅうたい)していて、なかなか すすめなかった。
CK「めっちゃ 人多(ひと おお)い


また、メッセージが 来(き)た。



なんとか 外(そと)に 出(で)ると、CKさんが 立(た)っていた。




無事(ぶじ)に 会(あ)うことができた。
CK「人(ひと)が 多(おお)くて びっくりした





CK「ちょっと 調(しら)べてみる…




CK「そうかぁ〜

CK「これ、おみやげです



しばらく 話(はな)しながら 歩(ある)いた。
CK「じゃ、またね〜



おみやげは…





仲代達矢(なかだい たつや)さんを 見(み)て、何(なん)でも 躊躇(ちゅうちょ)せずに やってみることだと 思(おも)った。


自分(じぶん)が 皆(みな)さんに 言(い)っていること、それは
『やったら 1、やらなかったら 0。やって だめだったとしても 経験(けいけん)は 1ある』
20日(はつか)
朝(あさ)の ラジオに 仲代達矢(なかだい たつや)さんが 登場(とうじょう)した。
今回(こんかい)の 公演(こうえん)でも、うまくいかなくて 落ち込(おち こ)んだり、やめようと思(おも)ったり したことも あったそうである。
でも、最後(さいご)まで 皆(みな)さんに 支(ささ)えられて 千穐楽(せんしゅうらく)を 迎(むか)えることができた。
キャリアとともに 難(むずか)しさが 増(ま)してくる。
日々(ひび)、自分(じぶん)と 向き合(むき あ)って 高(たか)めていかねばならない。
深(ふか)く 心(こころ)に 響(ひび)く 言葉(ことば)だった。