2022年03月31日

アフリカ月間(げっかん)

毎年(まいとし)のことだが、三月(さんがつ)は けっこう 余裕(よゆう)がある。
これを チャンスに 何(なに)かしようと するのだが、結局(けっきょく) 毎年(まいとし) 何(なに)もできない。

GRさんは 卒業旅行(そつぎょうりょこう)で 北海道(ほっかいどう)へ 行(い)ってきた。
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お土産(みやげ)を もらったのだが、ちょっと 疑問(ぎもん)。
札幌名物(さっぽろめいぶつ)を 空港(くうこう)で 買(か)ったそうだ。
しかし・・・
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目『明治(めいじ)』が 販売(はんばい)してるけどexclamation&question
GR「えっexclamation&questionあせあせ(飛び散る汗)
目しかも 製造所(せいぞうじょ)は 岩手県(いわてけん)と 佐賀県(さがけん)に あるよ左斜め下
GR「全然(ぜんぜん) 気(き)がつかなかったあせあせ(飛び散る汗)
目どこが 札幌名物(さっぽろめいぶつ)なんだパンチ
GR「ふらふらあせあせ(飛び散る汗)

ご当地名物(とうち めいぶつ)とは、おおむね このようなものである。

このごろ、悩(なや)み 多(おお)き 学生(がくせい)が、休(やす)みがちである。
そのため、授業(じゅぎょう)が 突然(とつぜん)なくなると、今(いま)まで 読(よ)みたかった 本(ほん)を 読(よ)む 時間(じかん)になる。
まずは、この本(ほん)を 手(て)にした。
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虫好(むしず)きなので、うらやましいと 思(おも)った。

好(す)きなことをして 生(い)きるというのは、他方(たほう)で 何(なに)かを 犠牲(ぎせい)にする 場合(ばあい)が 多(おお)い。
よしえ虫(むし)も そうかもしれない。
しかし よしえ虫(むし)には、何(なに)が 犠牲(ぎせい)なのか、よくわかっていない。
他者(たしゃ)から 見(み)たら、犠牲(ぎせい)にしていると 思(おも)われるのかもしれない。
本人(ほんにん)が 幸福(こうふく)だと 思(おも)っているなら、他者(たしゃ)に 何(なに)を 言(い)われても 気(き)にならない。
よしえ虫(むし)は 何不自由(なにふじゆう)なく 生活(せいかつ)していると、本人(ほんにん)は 思(おも)っている。

ハマグリが 食(た)べたくなった。
しかし、ハマグリは なかった。
最近(さいきん)、アサリの 産地偽装問題(さんちぎそう もんだい)が ニュースになっている からだろうか?
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この 貝(かい)も、以前(いぜん)なら 『新月新月ハマグリ』などと 表示(ひょうじ)されていたのだろう。
そうすると、いかにも 新月新月で とれた ハマグリのように 見(み)える。
菜花(なばな)を 添(そ)えた 酒蒸(さかむ)し にして 食(しょく)した。
ハマグリより 噛(か)みごたえが あったが、これはこれで 美味(びみ)である。

3月20日(さんがつ はつか)
素晴(すば)らしい 光景(こうけい)に であった。
雨雲(あまぐも)が 次々(つぎつぎ)に 流(なが)れてきて、小雨(こさめ)が なかなか 止(や)まなかった。
それでも、エイっと 買い物(かい もの)に 出(で)かけた 帰り道(かえり みち)である。
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修学院(しゅうがくいん)あたりに、虹(にじ)が 出(で)ていた。
虹の街(にじ の まち)といえば、美(うつく)しい 理想郷(りそうきょう)の ようである。
遠(とお)くから 眺(なが)めているので、街(まち)に 虹(にじ)が かかっているように 見(み)える。
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実際(じっさい)には、修学院(しゅうがくいん)あたりは 霧雨(きりさめ)が ふっている。
目あの辺(へん)は 京都北部(きょうとほくぶ)の 最南端(さいなんたん)だなたらーっ(汗)
京都府(きょうとふ)の 気候(きこう)は 北部(ほくぶ)と 南部(なんぶ)で 異(こと)なる。
北部(ほくぶ)は 冬(ふゆ)に 雪(ゆき)が 多(おお)く、寒冷地域(かんれいちいき)である。
南部(なんぶ)は 冬(ふゆ)に 雪(ゆき)が 少(すく)なく、温暖地域(おんだんちいき)である。
その 分(わ)かれ 目(め)が、この 虹(にじ)の あたりである。
つまり、北山通以北(きたやまどおり いほく)は、気候的(きこうてき)に 北部(ほくぶ)に 入(はい)る。

今月2冊目(こんげつ に さつ め)の 本(ほん)。
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よしえ虫(むし)も サコ学長(がくちょう)の 教育理念(きょういくりねん)に 賛同(さんどう)する。

硬直(こうちょく)した 日本(にほん)の 教育環境(きょういくかんきょう)も、融通(ゆうずう)の 利(き)かない 教育方針(きょういくほうしん)も 大嫌(だいきら)いだ。
『〜〜〜なければならない』と 思い込(おもい こ)んでいる 社会風潮(しゃかいふうちょう)が 息苦(いきぐる)しいのである。
こんな 社会(しゃかい)で 生(い)きるのだから、日本(にほん)での 生活(せいかつ)は 窒息死寸前(ちっそくし すんぜん)に 追い込(おい こ)まれてしまう。
他者(たしゃ)の 目(め)を 気(き)にしながら、はみ出(だ)さないように 体裁(ていさい)を 維持(いじ)して 生(い)きるのは 幸(しあわ)せか?
よしえ虫(むし)の 前(まえ)で 『私(わたし)には 自由(じゆう)がない』といって、泣(な)きはらした 学生(がくせい)がいた。
毎日(まいにち)、日本語(にほんご)を 学(まな)びながら 働(はたら)いていたが、生活(せいかつ)の 息苦(いきぐる)しさに 耐(た)えかねてのことだったのろう。
しかし、その学生(がくせい)は 自由(じゆう)を 求(もと)めて 来日(らいにち)したのである。
日本(にほん)は 夢の国(ゆめの くに)でも、ユートピアでもない。
観光旅行程度(かんこうりょこう ていど)の 日本経験(にほんけいけん)のみで、日本(にほん)へ 行(い)って 仕事(しごと)を 見(み)つけて 生活(せいかつ)しようなどと、決(けっ)して 考(かんが)えてはいけない。
日本(にほん)では 日本(にほん)の 社会風潮(しゃかいふうちょう)に 同化(どうか)できないと 生(い)きにくくなるのである。

小(ちい)さな 春(はる)が 来(き)た。
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よしえ虫家(むし け)の 入り口(いり ぐち)に 生(は)えている スミレが 咲(さ)いた。
どこから 運(はこ)ばれてきたのか わからない。
育(そだ)てている わけでもない。
もう ひとつ・・・
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ホトケノザも 咲(さ)いた。
出入(でいり)りする ところに あるので、この時期(じき)は 花(はな)を 踏(ふ)まないように 跳び越(とび こ)えなければならない。

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これは、カブの 葉(は)っぱ。
朝(あさ)ごはんの スープの 具材(ぐざい)になる。
春(はる)になって 青々(あおあお)とした 元気(げんき)な 葉(は)っぱを つけた カブが スーパーに ならびはじめた。
カブの 実(み)は 晩(ばん)ごはんに なるし、余(あま)すところなく 食(た)べられる。
よしえ虫(むし)の 主食(しゅしょく)といっても 過言(かごん)ではない。

3月28日(さんがつ にじゅうはち にち)
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サクラが 7分咲(ななぶざ)きになった。
二日後(ふつかご)には 満開(まんかい)だろう。
でも、花見(はなみ)なんか しない。
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毎年(まいとし) 咲(さ)くんだし・・・

今月3冊目(こんげつ さん さつ め)の 本(ほん)。
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ゆるい 人間関係(にんげんかんけい)でも、信頼(しんらい)は 築(きず)ける。
流動的(りゅうどうてき) かつ 柔軟(じゅうなん)な 人間関係(にんげんかんけい)でも、ある 目的(もくてき)を 共有(きょうゆう)することで まとまることができる。
必要以上(ひつよう いじょう)に 他者(たしゃ)に 踏み込(ふみ こ)まない。
表裏(おもてうら)を 詮索(せんさく)しない。
完璧(かんぺき)な 善人(ぜんにん)は いない。

日本人(にほんじん)は 他者(たしゃ)を 信(しん)じすぎているのではないだろうか。
何(なに)か 頼(たよ)れる ものが 必要(ひつよう)だと 考(かんが)えているのではないか。
日本社会(にほんしゃかい)は、自分(じぶん)に 自信(じしん)が 持(も)てない 人々(ひとびと)に やさしくできている。
何(なに)かに 自己(じこ)を 投影(とうえい)することで、自己(じこ)の 形象(けいしょう)を 確認(かくにん)している。
所属(しょぞく)、肩書(かたがき)、役割(やくわり)が アイデンティティーを 持(も)って 歩(ある)いている。

今月(こんげつ)は ちょっと 批判的(ひはんてき)に なってしまったなダッシュ(走り出すさま)
posted by よしえ虫 at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 虫虫的看法(日記)diary